我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

哲学

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
D’où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?

はじめまして
管理人の いちたろう です。
表題は、フランスの画家、ポール・ゴーギャンの作品である絵画のタイトルである。

第一弾はタイトルにある通りゴーギャン作の絵画
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』について解説を行っていく。
本サイトが掲げる根本的な問いに一致していると感じているからである。

作品の背景

色彩絵の名画であるこの作品は、19世紀フランスの画家ポール・ゴーギャンの作品である。
絵画のサイズは、縦横139.1 cm × 374.6 cmであり、凡そこのサイズは、学校で目にする黒板とほぼ同じくらいといったら想像がつきやすいだろうか。

ゴーギャンの晩年にタヒチに拠点を置いていた。
この時、彼はフランス文芸誌に彼を批判する記事が出版され、さらに最愛の娘が肺炎で亡くなってしまい、精神的にひどく傷付いた状況に置かれていた。そんな中、この作品が描かれのである。

この作品の興味深い点は、絵の右から左にかけて人間の一生を表していることにある。
それではゴーギャンが描いた、彼の人生観とも言える、人間の一生を見ていこう。
主観として意見を述べる箇所も多々あるが、芸術カテゴリに関しては、この点ご容赦いただきたい。

人生の始まり

絵の右側に3人の女性と赤ちゃんが描かれている。
赤ちゃんは言うまでもなく「生の始まり」を表しており、周りに3人の女性が描かれていることから、保護の対象として思いやりの中で人生をスタートさせていると考えられる。

我々はどこから来たのか、に関する1つの解釈として「思いやり、愛、アガペー」と考える。
我々はみんな、先祖や親など先人たちの愛から誕生しているのである。

絵の右側

では、人類自体の始まりはなんだろう。
ホモサピエンスは知恵や社会性を得て我々人類として繁栄したが、その始まりに愛はあったのだろうか。そうでないとしたら何があったのだろうか。

成年期

絵の中心に果実をもぎ取っている人物が、その隣には座って果実を口にしている人物が描かれている。
果実は豊かさを表しているのではないだろうか。
豊かさは幸せの1つの象徴であり、正しく人生を謳歌している姿を描いているのではないか。

我々は何者か、に関する1つの解釈として「幸福を求めるもの」と考える。
肉体や精神が成熟し、社会の中で我々は、「幸福」を求め続けるのである。

絵の中心

幸福を求め続ける者、が我々が何者かに対する解なのだろうか。
そもそも幸福とは何だろう。時代や属するコミュニティによってその定義は様々であろうが、
人類全体が求める幸福や豊かさに普遍的な解があるのか。
地球に存在する生物は多様性のもと、種を存続させることを目的としている中、幸福を求める人間は、一体何者なのだろうか。

人生の終わり

絵の左側

絵の左側に顔を覆う老人が描かれている。
死を意識しており、文字通り人生の終わりを表している。
その隣にいる白い鳥が描かれているが、白い鳥の象徴といえば幸福や、回復、平和といったものである。

我々はどこへ行くのか、に関する1つの解釈として「死」であると同時に、白い鳥が表す「幸福」であると考える。
成年期で幸福を求めた我々は、最終的に死に直面するも、同時に幸福へ辿り着くのである。
しかし絵に描かれている老人は幸福が近くにあるのに気づいていないように見える。
幸福を求めた我々は最後、死と幸福の狭間で生物としての最後を迎えるのかもしれない。

人類は死へ、そして幸福へ向かう。
果たしてそれで終わりなのか。死後、個人としての精神は肉体と同時に消滅してしまうのか。
もしそうなら無へ帰すために、始まり、生き、終わるのか。

見れば見るほど興味深い

いかがだっただろうか。
個人の解釈を混ぜて絵を見ていったが、人それぞれの解釈があるだろう。

この絵の中には左側に謎の青い像が描かれていたり、愛娘の姿が描かれていたりしている。
それぞれ、この絵の物語の中で、どのような意味で描かれているのだろうか。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

人類の究極ともいえるこの問いについて、解が与えられることはあるのだろうか。
それとも解自体、存在するのだろうか。

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